地獄の画家卍イラストエッセイ水無

俳優として全国CMで主演を務め、入社した映像制作会社で「喋りが面白いから」となぜかYouTuberにさせられてうっかり1,000万回も見られてしまう。地獄のようなイラストを添えたエッセイを毎日公開中。書籍化したいので、皆さん応援してくださいね☆

全国CM主演俳優までの軌跡一~入所オーディション~【水無のイラストエッセイ】

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 映像制作の専門学校に通っているとき、なにをとち狂ったのか私は「自分は撮る側じゃなく出る側になりたい」などと、親に爆撃的な授業料を払ってもらって専門職を志している人間とは思えないことをほざいた。

  そして専門学校を出て少し経った頃、私は大阪にある様々な芸能事務所の中から松竹芸能を選んだ。お笑い芸人だけでなく、松竹には俳優部というものがあったのだ。お笑いに強い事務所なのでそういう案件の方が多いのかもしれないが、俳優業に特化した小さな事務所よりも、力の強い事務所の方が結果的に良いのではないかと考えてのことだった。その考えはのちに“全国CМ主演”という良い結果を生み、そして私を引退へと導いた。

 松竹芸能は“月謝を払ってレッスンを受ける”というよくあるスタイルで、コンスタントに仕事を取ってこられるようになればレッスン卒業となる。
 私は入所オーディション用の写真を姉に撮ってもらい、当日に臨んだ。とんでもないイケメンや美女ばかりが来るのかと思いきや、思いのほかお笑いっぽい顔の人の方が多かったので、私はここで本当に俳優になれるのかと多少危ぶんだが、この後のことを考えると他人に気を配っている余裕などないと気が付いた。

 オーディションでは質疑応答の後に演技の披露があったのだが、映画や舞台はおろか、学芸会や文化祭の演劇にも興味を持ったことが一度もなかった私は演技の“え”の字も知らなかったが、元々大仰な身振り手振りで人を笑わせるのが好きだったこともあり、お題の演技を臭い芝居でこなし、その日は終わった。
 そんな演技に興味を持たない私がなぜ俳優になりたいと思ったのかを答えると百パーセント嫌な顔をされる自信があるのだが、包み隠さず言うと単に目立ってお金を稼ぎたかっただけなのだ。私は誰よりも演技が上手いと褒められたことがあるわけでもなければ、誰よりも面白いわけでもない。ただ誰よりも目立ちたがり屋だったのだ。

 数日後、紅白のじつにめでたそうな封筒が届き、中には“オーディション合格”と書かれた書類が入っていた。「受かった~!」と私は大喜びで家中をサルのように駆け回り、新生活のスタートが決定した。しかし不合格者もあのめでたい封筒で通知されているのかが気になるところだ。

 入所初日はまずルールや今後の流れについての説明があり、それぞれの夢や目標を語るという熱いイベントがあった。たいていは私と同じでテレビの役者志望であり、舞台役者志望は一人の女の子だけだった。
 私の同期は八人ほどおり、下は二十歳、上は三十二歳と多様な人材が揃っていた。解散となった後、私は一人の年の近そうな男“ラキオ”に声を掛け、駅までの道でこれからよろしく頼む旨を伝えて別れた。

 レッスンは初球と中級に分かれていて、テストに合格すれば中級に上がれるとのことだった。さらに初球中級問わず、将来有望な人間だけが入れる“選抜”なるクラスも存在すると聞き、私は“一年以内に選抜入り”を最初の目標に定めた。
『事務所で一番になれなくて、どうやって全国の猛者達と渡り合えるのか』と当時の私はかなりのカリスマ力を秘めた発言をしていたのだが、まあたしかにその通りである。まずはお山の大将にならないと、事務所に目を留めてもらえないのだ。

 こうして私は他人よりも絶対に目立ちたいがために俳優を目指し、他人より目立って選抜に選ばれることを目標にしてはじめの一歩を踏み出した。
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