エッセイスト水無(みずなし)ってこんな奴
1988年(昭和63年)1月25日に大阪府の南端にある阪南市で、年の離れた姉2人の下に長男として生まれた。
甘やかされて育ったのか幼稚園から小学校にかけてはかなりのジャイアンっぷりを発揮して大暴れの日々を過ごしていたが、中学入学後すぐ、地元では有名なスーパーヤンキーの先輩に「お前中学でもヤンチャすんのか?」と言われ、心根がビビりな私は「いえ!全然!」と答え、平穏な日々を過ごすことを選択した。
しかしとにかく学校(というか勉強)が大嫌いだった私は小中高と学校をサボりまくり、高校ではこのままだと退学になるぞと担任が家に殴り込みに来るほどだった。
中学一年の時に姉からハイスタという日本人が英詞で歌うバンドを教えてもらって以来、音楽にドハマりしたことがきっかけでPVを撮る仕事に興味を持った。私の頑固な勉強嫌いに辟易した親は大学進学を諦め、手に職をつけるのもいいことだと映像制作の専門学校に行かせてくれた。
しかし撮影現場のアルバイトに初めて行った時、私は何を思ったのか『自分は撮る側ではなく出る側がいい』と、専門職を目指して切磋琢磨する学生とは思えないトンチンカンなことを言い出し、卒業後は松竹芸能で俳優の道を目指すこととなった。
すると運が良かったのか選抜チームに入り、リーブ21の全国CMで華々しくデビューを飾ったのだが、俳優として売れるには東京に行かなくてはならないとマネージャーから伝えられ、強い大阪愛を持つ私は俳優への道を断念したのであった。
その後、我が人生はバンド活動に捧げようと思い立ち、そのためには何が必要か考えたところ、まず『英語の発音を良くする必要がある』とよく分からない判断を下し、留学のため単身カナダへと渡ったのだった。
カナダ最大の都市トロントでバンドを結成した私は、帰国後すぐに活動のため彼らと共に神奈川県へと引っ越した。あれだけ順調だった俳優活動時は大阪に残りたいと断固拒否した上京だったが、私は間違いなくこの時カナダ・ハイに陥っていたのだ。
バンドだけではもちろん食べていけないため、東京の映像制作会社に入社し、これを書いている今もその会社でバラエティー番組を作っているのだが、会社から自社のYouTubeチャンネルでゲーム実況をやってみろと言われ公開したところ何かの間違いでちょっと流行ってしまい、数百本出した動画の総再生回数は千万を超えている。
気になる方はGM Channel のおーやまんで検索してください。
肝心のバンドはと言うと、カナダで結成したバンド『ザ・ミリタリーズ』は、ジャケット写真や曲名、歌詞、コンセプトなどから視聴者に曲を想像させるという意味の分からないバンドに変貌していたため、私の発音留学は何の意味もなさなくなっていた。
その後、東京生まれ東京育ちのおとなしい性格という、陰と陽、光と闇と言ったほど私と対極に位置する女性と結婚し、現在は娘と3人で暮らしている。
趣味は日本人のうるさい英詞曲の鑑賞、長編小説の読書/執筆、バンド活動、ゲーム、アニメ鑑賞、バイク……と、私の人生史と同じようにまとまりがない。詳細が気になる方はプロフィールに記載しているのでご覧いただきたい。
文章を書くことがたまらなく好きなので、読んでくださる方が私の書いた文章で何かを想像したり、ふとした時に一節を思い出したりしてもらえれば幸せに思う。
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これからもエッセイを投稿していきますので、気に入っていただけましたらまたご覧ください。
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ありがとうございました。