独学でピアノを始めた結果【水無のイラストエッセイ】
読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘)
何より音楽が好きだったあの頃、バンド活動では歌うことしか興味を持たなかった私だが、一度だけ楽器に挑戦したことがあった。ファイナルファンタジーⅩのピアノ曲『ザナルカンドにて』を弾きたい。そう思い立った私は本屋で楽譜を買い、ピアノの練習を始めた。
我が家では姉二人が昔ピアノをしていたので、カワイのきちんとしたピアノがリビングに置いてあった。私は昔から猫ふんじゃっただけは得意で「この世で一番速く弾ける」と意味の分からない自信を持っていたので、少し練習すれば弾けるだろうと高を括っていた。
だがいざ楽譜を広げて両手を鍵盤の上に乗せてみたところ、いったいどうしたことなのか。まったく指が動かない。そもそも左右の手で違う動きをするということが出来ないのだ。ならばまず右手だけでもと楽譜を睨みつけて何度か挑戦してみたところ、右手だけなら多少は弾けた。
「ウハハそれ見ろ私は誰よりも猫を踏んじゃえるのだ」と悪の手先のような高笑いをひとしきりしたところで次は左手に移ってみたのだが、十分ほど経ったところで私は悟った。「絶対に無理だ」
私は近所に住む友人ハーベスト氏に連絡を取り、早速家へと向かった。彼は趣味で小中学校の合唱曲を独学で弾いているというとても変な男なのだ。これまでは変人だと思っていたが、こちらがピアノで手詰まりとなった今、彼の変人さ加減だけが頼みの綱となった。
彼は私の持っていった楽譜と私の指の動きを見て、まず手の形をまんまる卵型にした方がいいと指摘し、さらに指の運び方が間違っていることを見抜いた。そして初心者がいきなりザナルカンドにてを弾きたいなら、まずは右手と左手をそれぞれ完璧にしてから合わせた方がいいのではないかと言及した。これには私も賛成で、とにかく左手をどうにかしないことには先に進める気がしなかったのだ。
その日から私は毎日猛特訓した。仕事から帰るとピアノを弾き、親が寝静まった後もボリュームを最小にして指が動かなくなるまで練習した。
その努力の甲斐あり、二カ月ほどで私は右手も左手も別々なら最初から最後まで通して弾けるようになった。大好きな曲を徐々に弾けるようになりつつある感動を忘れないうちに、私はさっそく問題の両手弾きに取りかかった。
初めから分かっていたことだが、左右別々なら弾けていた曲でもやはり両手同時となると難易度が異次元級に高くなる。右手に意識を集中すれば左手は大阪の新世界でワンカップ酒片手に突っ立つオッサンのようにボーっとし、逆にオッサンに集中すれば今度は右手がアルコール中毒者の手のようにプルプルと小刻みな動きを始める。これは思った以上に厄介だ。
加えて私は楽譜を見ながら弾くと言うことがどうしても出来ず、全て暗譜して弾いていたのもそれ以上進めない要因の一つだったのかもしれない。
私はそれからというもの、休みが合えばハーベスト氏の家に幾度となく足を運び、自分のピアノの特訓に付き合わせるという、彼にとって何のメリットもない日々を送った。自宅で毎日練習し、休みの日に彼に見てもらう。心の広い彼の性格におんぶに抱っこでそういう生活を三カ月ばかり続け、私は何とか一曲を完璧に弾けるようになった。
どうやってそこまで到達出来たかと言うと、彼が教えてくれた「めちゃくちゃゆっくりでいいから、左右一音ずつしっかり確かめながらやってみれば?」という言葉が全てだった。元々ゆったりとした曲なのだが、さらに五十分の一ほどのスピードにして一フレーズずつ完成させていくことで、私の望みは叶ったのだ。
上手くもなんともないがとりあえず一曲通して弾けるようになった私は有頂天でおかんやおばばに披露し、彼女達は私の手が紡ぐ旋律にたいそう感動して「あんた! 演奏家になったら儲かるんとちゃう?」などとこの世全ての演奏家を敵に回しそうな発言までして私の努力を褒めたたえた。
私のピアノのモチベーションは『弾けるようになりたい』というそもそもの動機の他に、練習の日々の中でもう一つ生まれた。それは若干ボケつつあったおばばがピアノの音が聞こえると自室から私がピアノを弾くリビングへと移動し、ソファに腰かけて耳を傾けていた姿を見ているうちに芽生えた。齢八十五にしてファイナルファンタジーの旋律に心を和らげている彼女に、早く通して聞かせてあげたいと思い続けているうちに、いつしかそれが自分の中で目標へと変わっていたのだ。
そうして私は一曲弾けるようになり、さらに半年ほどかけてローズ・オブ・メイという別のファイナルファンタジーの曲も弾けるようになった。そしてその後すぐにカナダへ留学することになり、帰国後は関東に引っ越したため、ピアノを弾くことはなくなってしまった。
数年後、帰省した時にふとピアノを弾いてみたのだが、恐ろしいことに私の中からピアノの技術は綺麗さっぱり消滅していた。水泳と同じで一度体得した物は忘れないと高を括っていた私はその完全なる消滅に慌てふためいた。継続は力なりと言うが、継続しないからといってその全てを持っていかなくてもよいではないか。
将来娘がピアノを習い、今度は私がかつてのおばばのようにピアノの旋律に耳を傾ける日が来ることを、秘かな楽しみとしている。
――――――――――
これからもエッセイを投稿していきますので、気に入っていただけましたらぜひフォローお願いします。
ブックマークや感想を残していただけると非常に嬉しいです。質問等もお気軽にどうぞ。喜んで返信させていただきます。
ありがとうございました。