子ダヌキを飼う【水無のイラストエッセイ】
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姉は昔、もの凄い山奥に佇む幼稚園で働いていた。周りには山と田んぼしかないような僻地で、そこに子ダヌキが迷い込んできたのもなんら不思議な話ではなかった。
子ダヌキを発見した幼稚園は山に帰そうとしたが、みるとそのタヌキは足に怪我をしており、ひょこひょこと歩いていた。このまま山に帰しても生きていけないだろうと判断した幼稚園は付近の動物園に掛け合ってみたところ、一カ所引き取ってくれる所が見つかった。だが現状タヌキのコーナーがないので、申請やら準備やらで一カ月待ってほしいと言われ、期間限定でそのひょこひょこダヌキを我が家で預かることになった。
犬や猫を飼っている友人はごまんといるが、大阪広しとは言え小五で子ダヌキを飼っているのは自分だけに違いないと、私は相当舞い上がっていた。
タヌキがやって来る初夏の日、私は朝から待ちきれずに段ボールで寝床を作り、牛乳をあげるための器を磨いたりしていた。
とは言うものの私は実際それまでタヌキにさして興味を持ったことがなく、動物園に行っても『巨大・肉食・獰猛』に当てはまる動物しか見ていなかったので、タヌキがいったいどんな顔をしているのかというのはアニメやイラストぐらいでしか知らなかった。
「連れてきたよ~」
姉の声が聞こえると私は二階から飛び跳ねるようにして玄関に向かい、姉に抱かれる小さな子ダヌキを見て絶句した。
「可愛い……」
物珍しさが期待のほとんどを占めていた私は、タヌキなんてポンポコと太った腹を叩くブサイクな生物だと思っていたのだが、これはいったいどうしたことか、恐ろしく可愛いのだ。
一度『子ダヌキ』で検索してほしいのだが、子ども時代のタヌキは全然太っておらず、顔つきもシャープでとにかく可愛いのだ。
私はいつものように狂喜乱舞して家中を駆け回り、ピアノの椅子に躓いて用意していた彼の寝床の一部を踏み潰した。
少し泣いたのち、床を歩かせてみようということになった。私はもう夜なので寝かせた方がいいのではと提案したのだが、姉は「タヌキは夜行性やからこれからが活動時間なんやで」と言った。さすが十歳も離れた姉だ。アホだと思っていたが博識である。
ひょこひょこと歩く姿はまるで歩き始めの赤ちゃんのようだったが、それはやはり足が悪いために引きずっていたのだ。
私は夏休みの自由研究の題材をタヌキの観察日記に決めた。そのためにはじっくり観察するんだと、タヌキにへばりついて可愛がった。牛乳を飲ませ、果物やドッグフード、我々のご飯などを少しずつ与えては日記に書いた。
隣近所の幼馴染達も可愛い可愛いと溺愛し、幼いながらに私の承認欲求は最高に満たされていた。だがそんな様子を目にしたおかんは「この子は元々野生やから、人間がずっと可愛がってたらストレスになるんとちゃうかな。疲れて病気になったりするかもしれんよ」と言った。本当は一緒に寝たいぐらいだったのだが病気になられてはかなわんと、私は一定の距離を置いて付き合うことにした。
観察していると、子ダヌキは頭をよくゴンゴンとぶつけていた。足だけでなく、おそらく目も悪いのだ。私はそんな彼を不憫に思い、生活圏内であるリビングで頭をぶつけそうな場所にプチプチを巻いた。それが由来となり、彼の名前はゴンになった。
ゴンは相変わらずひょこひょこと歩き、よく頭をぶつけ、よく食べ、そしてよく寝た。夜になると赤いリードを付けて散歩をした。
最近は野生のタヌキは病原菌を持っているので近付いてはいけないとよく言われているが、その頃は特にそういったことも知らず、私は何度か噛まれて泣いた。私が中学以降まったく勉強が出来なかったのは、ゴンに噛まれたからかもしれない。
そんな流星のようにひと夏を共に過ごしたゴンは、夏休みの終わりに動物園へと引き取られて行った。私はゴンを奪い取らないでくれと泣き叫んだが、家族から「ゴンにとってはこんな狭い段ボール小屋よりも、きちんと設備の整った動物園の方が幸せになれるんだよ」と諭され、赤いリードを固く握りしめていた手をほどいた。
ゴンがいなくなったリビングは、一日、二日と時が進むにつれて彼の独特の獣臭を忘れていき、私はそれが辛かった。
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