地獄の画家卍イラストエッセイ水無

俳優として全国CMで主演を務め、入社した映像制作会社で「喋りが面白いから」となぜかYouTuberにさせられてうっかり1,000万回も見られてしまう。地獄のようなイラストを添えたエッセイを毎日公開中。書籍化したいので、皆さん応援してくださいね☆

クソガキが日曜学校に行く【水無のイラストエッセイ】

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 日曜学校という言葉を聞いたことがあるだろうか。べつに日曜日も学校で授業を受けるという末恐ろしいものではない。

  平たく言えば教会だ。クリスチャンが集う教会で、子ども向けのメッセージをすることを総じて日曜学校と言う。日曜日に神の存在について学ぶのでこういう名称が付けられたのではないだろうか。

 我が家は元々クリスチャンではなかった。どちらかと言えば祖母の実家が京都のお寺さんだったので、仏教の毛色の方が強かった。しかし私が小三くらいの頃、おかんが知り合いに誘われて教会に行ってみたところ「神様っているのかしら」と思い、その後何度か足を運んでいるうちに『神の存在なくして説明のつかないことがこの世には多すぎる』と判断したようで、私を連れて行くようになった。
 父は典型的な無神論派なので今なお教会にはまったく興味がないようだが、小三の私にとっては『電車に乗って新しい友達と遊べる場所』くらいの認識しかなく、日曜の朝になるとウキウキと出掛けていった。

 一般的には馴染みのない教会とはどういうスケジュールなのか、まずはそこから書いていこう。

09:00~10:00 学生向けの日曜学校
10:30~12:30 クリスチャンだけで礼拝
14:00~15:00 クリスチャンだけで聖書の勉強をする学び会
16:00~17:30 一般の方も参加できる伝道メッセージ

 私が行っていた大阪の和泉集会のスケジュールはだいたいこんな感じである。礼拝中は静かに物音を立てないで学校の宿題をするか読書をし、学び会は大人だけなので不参加だ。すると分かるように、隙間時間が結構がある。

 私の楽しみはいくつかあったのだが、まずはお昼ご飯だ。最初はお昼前に皆でほか弁を頼んでいたのだが、全種類制覇したほか弁を何度も繰り返し食べるのに飽きた私は、おかんからお昼代として五百円を貰っては自転車でいろんな場所に出かけた。ときにスーパーで総菜を買い、ときに激安の酒屋でジュースやおやつを買い、ときにファストフード店ハンバーガーやドーナツを買い、またあるときはゲームセンターで好きなゲームをしたし、ブックオフで漫画を買うこともあった。空腹さえ凌げば残りは小遣いになるのだから、金欠の身としては貴重な財源である。
 次点で楽しみだったのは友人達と遊ぶことである。かなり大きな教会だったので、大人四十人、子ども二十人はいたのではないだろうか。私と年が近い男子が四、五人いたので、いつも彼らとボール遊びをしたりゲームをしたりしていた。

 だが高校に入ると、私の足は徐々に教会から遠のいていった。買い物欲にまみれた私にとって日曜日はアルバイトの日となり、シフトに入れなかった時にだけ行くスタンスに変わってしまった。
 専門学校に入ってからはさらに足が遠のいた。ドン・キホーテのアルバイトは百パーセントシフトに入れたので、私が日曜日に教会を訪れることはまったくなくなってしまった。

 だが私がせっせと小銭を稼いでいる間も友人達は毎週欠かさず教会へ足を運び、やがてバプテスマ(洗礼)を受けてクリスチャンとなった。私と彼らの違いはいったい何だったのだろう。
 まず、彼らは物心つく前から一家総出で教会に通っていたのに対し、我が家は途中参加で私とおかんだけだったことが挙げられる。また、彼らの家は徒歩圏内だったのに対し、我が家からは車と電車で一時間ほどかかったのも理由の一つだろう。
 そして何よりの要因は、彼らが死後永遠の命を手に入れるために人生を賭して学んでいたのに対し、私には今世でやりたいことが多すぎたのだ。

 とは言え六、七年は欠かさず日曜学校に通っていた身としては、今でも神の存在を疑おうとはしない。ただ毎週日曜日に通ったり、聖書の勉強をすることが難しかっただけなのだ。
 毎週日曜日に教会へ通わなくとも信仰さえあれば救われるのだと、私はそう信じたい。
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これからもエッセイを投稿していきますので、気に入っていただけましたらまたご覧ください。
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ありがとうございました。