地獄の画家卍イラストエッセイ水無

俳優として全国CMで主演を務め、入社した映像制作会社で「喋りが面白いから」となぜかYouTuberにさせられてうっかり1,000万回も見られてしまう。地獄のようなイラストを添えたエッセイを毎日公開中。書籍化したいので、皆さん応援してくださいね☆

東京はライダーの地獄【水無のイラストエッセイ】

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 車社会の地域で生まれ育った私にとって、友人と遊びに行くと言えば車やバイクだ。電車移動だとイマイチ盛り上がらないが、車やバイクで出かけると軽く数倍は楽しい。それはおそらく『自分達で移動している』『車は自分達だけの空間』という感覚があるからだと思う。

  だが東京生まれ東京育ちで、自分を含め友人の誰一人として何の運転免許も持っていない私の妻は、この感覚がよく分からないらしい。遊びに行くと言えば電車で、そこに疑念の余地はないと言う。むしろ先ほど聞いた話によると『電車に乗って出掛けるという感覚がない。出掛ける=電車に乗る。つまり呼吸と同じ』などという若干ヤバめなことまで言っていた。
 だが東京(あるいは都会)というのはそういう場所だ。車やバイクどころか免許がなくても困ることがほとんどない。

 ところがどっこい私は東京人ではなく大阪人。車やバイクの文化がほとんどない東京での暮らしにはほとほと嫌気がさす。前回『かくして私はバイクを買った』というエッセイを書いたが、私は十五年来のライダーなのだ。愛車はドラッグスタークラシックというアメリカンタイプで、改造によってめちゃくちゃデカく長くなっている。大阪に住んでいた頃は通勤で毎日乗っていた相棒だが、東京に来てからは月に一度ほどしか出番がない。以前は妻を乗せて回転寿司に行ったりしていたのだが、ベビ子の誕生によってその使用用途は消滅した。

 おそらく今の住まいが大阪だったら、もう少しは乗る頻度が高かっただろう。ではいったいなぜ東京だとあまり乗らなくなるのか。答えはほとんど一つだ。
『停める場所がない』
 ショッピングモール、飲食店、スーパー、ゲーム屋、百均、古本屋。これらは壊滅状態である。車を停める有料駐車場はあっても、バイクを停める駐輪場はない。自転車なら比較的有料で停められる店もあるが、バイクはまずない。それがいったいどのような面倒を引き起こすのか。例えば友人と遊んでいて「ちょっとラーメンでも食べに行こや!」となった場合で考えてみよう。
 大阪に住んでいた頃なら、私は何の迷いも下調べもなくバイクで向かうだろう。だが東京は違う。まずグーグルストリートビューで駐輪場があるかを確認し、見つからなければ店に電話。専用のものがなければ近所に停めていい公園や駐輪場があるかを探す。この三工程が出掛けの前に割り込んでくる。ほぼ見つからないのだが、運よく見つかったとしてもこの時点でわりと興は削がれている。
 こうしたほぼ無意味なリサーチを繰り返しているとやがて「もう歩いて行けるいつものたいして美味しくない店でいいや」となるか「ごめん店ないわ。悪いけど食べに行くのやめよ」となる。東京の人にお聞きしたいのだが、こういう時は電車で行くのだろうか。私に電車でラーメンを食べに行くという選択肢はないのだが、それは文化の違いなのだろうか。

『停める場所がない』という言葉にはもう一つの意味がある。それはマンションの駐輪場だ。不動産屋の友人に聞いたところ、東京で私の巨大バイクを停められるマンションはおそらく一桁%しかないだろうと言っていた。そう、バイクがあると引っ越しすらままならないのだ。

 結婚するにあたって家を探したのだが、どうしても私のバイクがネックで良い物件が見つからなかった。なので可能な限り近くで私の規格外のバイクを停められる駐輪場を必死で探して契約した。だがそこは駅の方向や生活経路から外れた徒歩五分の野ざらし駐輪場で、これまで毎朝バイクに『行ってきます』を言っていたピュアな私には不安しかなかった。

 そんな生活にほとほと嫌気がさした私は、隣のマンションの駐輪場に目を付けた。四台分のスペースを確保しているにもかかわらず、一台も停まっていないのだ。それはそうだ。こんな街中の、部屋数もさして多くないマンションでバイクに乗っている人がいる確率など、川にモリを投げて一発で魚に刺さるぐらいのものなのだ。
 マンションの管理会社を探し当てた私は恐ろしく低姿勢で電話をした。
「近隣のものなのですが、そちら様のマンションの駐輪場を月極で利用させていただくことはできないでしょうか」
 答えはもちろん「住民向けなのでダメ」だったが、その二カ月後に奇跡が起きた。

 諦めずに近所で月極駐輪場がないか探していた私の目に飛び込んできたのは、なんと例の隣のマンションの駐輪場だったのだ。
「えっ! 隣! なんで!」
 大慌てで詳細を見ると、どうやら数日前に外部向けに開放したらしい。おそらく私の電話で『誰も利用者がいないのなら、月極駐輪場に変えてしまおう。前に電話してきたあいつのように需要はあるのだ』となったのだろう。料金も徒歩五分の野ざらし駐輪場と同じで、私は光の如く速度で電話を手に取り、契約した。いやはや一度言ってみるものだ。

 停められない他にも『渋滞』『走っていても楽しくない』と、ライダーにとって東京はさながら地獄である。それでも乗り続けている東京のライダーとは、私を含め本当にバイクが好きなバイクバカなのだろう。東京のライダーに、愛を込めて。
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