地獄の画家卍イラストエッセイ水無

俳優として全国CMで主演を務め、入社した映像制作会社で「喋りが面白いから」となぜかYouTuberにさせられてうっかり1,000万回も見られてしまう。地獄のようなイラストを添えたエッセイを毎日公開中。書籍化したいので、皆さん応援してくださいね☆

風邪に支配された人生【イラストエッセイスト水無】

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 私の人生は風邪に支配されていると言っても過言ではない。
 小学校中学年の頃、風邪で遠足を休んだ。普段給食と体育だけが楽しみで学校に行っていた私にとって、お弁当やお菓子を持って郊外に出る遠足は一年の中でも飛びぬけて楽しみにしている行事の一つである。

  遠足の行き先は大阪府最南端の遊園地みさき公園で、私は一週間前から指折り数えてその日を待っていた。前日、おかんから貰った三百円を握りしめ、友人達と近所のヤマザキパンで思い思いのお菓子を買い、家ではおかんに「明日のお弁当はふかふかの玉子挟んだサンドイッチにしてな! あとは紫蘇ハンバーグと唐揚げ!」と、前日の夕方にすべきではないリクエストを出し、苦笑いを浮かべるおかんをよそに踊りまくっていた。その日の夜はうまく寝つけず、明日の遠足で何のアトラクションに乗りたいかを考えたりして眠りが降りてくるのを待った。
 翌日、目を覚ますと身体を上手く起こすことができなかった。もはやプロフェッショナルと呼ばれてもおかしくないほど過去に風邪を引いている私は、一瞬で今自分が風邪を引いていることを察知した。しかし普段とは違い、今日は遠足。絶対に休みたくない。私は体調の不良をおかんに悟られまいと気を振り絞って明るいフリをしたが、拙い演技力が彼女の洞察力を越えることはできなかった。
「あんた風邪ちゃう? ちょっと体温計ってみ」
 絶対違うと拒絶したが、無理やり体温計を脇に突っ込まれた結果、無情にも体温計には三十七度四分だか五分といった、平熱が三十五度台後半の私にとってはかなりの高熱である数字が叩き出されていた。
 私は絶対に行くと泣き叫んで前日準備してあったリュックサックを掴んで外に飛び出そうとしたが、あっけなくおかんに捕まり、学校に欠席の電話を入れられた。

 このように何か大事な用事がある日に限って熱を出す私だったが、普段からもよく風邪を引く子だった。日本人は平均年間三回風邪を引くそうだが、私はおそらく軽く十回は引いていたと思う。ひと月に一回は風邪で学校を休み「今日の給食はラーメンやったのになぁ……」と、自分が食べ損ねた給食をクラスメイトが食べている様を想像しては彼らを呪った。

 だが私は軟弱さとはほど遠いジャイアンボーイで、学校の休み時間はクラスメイトを引き連れて校庭脇の山中で鬼ごっこをし、放課後も家に帰らずずっと外で遊んでいるような元気っ子だったのだが、どうにもこうにも風邪とは相性が悪かった。

 学生時代はこのようにずっと風邪を引き続け、成人してからはやたらと扁桃腺を腫らすようになった。突然変異のようにやって来た扁桃腺だがこいつが実に厄介で、ありえない高熱を出して身体がまったく動かせなくなるという、凶悪な新敵対勢力として成人した私を苦しめた。酷い時は野菜スープしか口に出来ず、医者に相談すると「高たんぱく、高脂質な高級バニラアイスでも食べたらどうですか」と言われ、パルムというアイスと野菜スープのみを摂取する日々が続いた。

 二十五歳の時にカナダへ語学留学する直前にも扁桃腺を腫らし、これだけ腫らすならもう取っちゃいますかと医者に言われたが、取ったら取ったで今度は普通の風邪を引くリスクも増すと聞き、結局今もなお扁桃腺は私の喉に鎮座している。

 三十二歳の今、数年前から実行していた『平均体温を一度上げる作戦』が功を奏したのか、風邪を引く頻度は日本人の平均くらいにまで落ち着いた。万が一風邪を引いた時も、怪しいと思った瞬間にうがい薬でこれでもかと言うくらいうがいをし、葛根湯を飲み、にんにくのホイル焼きを食べ、備蓄している栄養剤を飲み、水を一日で二リットル飲み、とにかく寝るという徹底した風邪対策を行なうことで、基本的に翌日には持ち越すことがないほどまでに風邪のエキスパートとなった。

 あの頃の自分からするともの凄い進化を遂げたと誇りに思う反面、新しい風邪対策の情報をネットで漁る自分を見ていると、本当に私の人生は風邪に支配されているなと、時折馬鹿らしくなる。
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