地獄の画家卍イラストエッセイ水無

俳優として全国CMで主演を務め、入社した映像制作会社で「喋りが面白いから」となぜかYouTuberにさせられてうっかり1,000万回も見られてしまう。地獄のようなイラストを添えたエッセイを毎日公開中。書籍化したいので、皆さん応援してくださいね☆

犬を飼う資格【水無のイラストエッセイ】

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 小さい頃、周りでは犬を飼っている家が多かった。
 私は犬を飼ってくれと嘆願し続け、ついに小学三年の春に“地域情報誌ぱど”に掲載されていた子犬を貰いに岸和田まで行くことになった。

  現地で待っていると、小さな子犬を抱えた女性がやって来て、まだ生後二週間なので大切に可愛がってくださいと言われた。子犬は白と茶色の混ざり合った体毛で、柴犬と雑種の間に産まれた子とのことだった。
「絶対事故とかせんとってよ。気を付けて運転してな」
 私は帰りの車内でおかんにそう何度も言いながら、子犬が眠るバスケットをしっかりと抱きかかえていた。子犬はずっと眠っていて、目を覚ましたかと思うと「クゥーン」と小さく鳴いてまた眠った。

 家に帰ると、帰宅を待ち構えていた姉二人やおばばが出てきて「ギャー可愛い!」「女の子なんやんね? 抱っこさせてー!」とたかってきた。
「今寝てるんやから大声出さんとって!」
 私は子犬の眠るバスケットを小脇に抱えて姉達から遠ざけた。早くも母性が芽生えていたのだ。

 名前を何にするかという家族会議は三日にも及んだ。私はその時絶賛ハイジに夢中だったので「ユキちゃんがいい」と主張したが、白くないからと却下された。姉達は何かカタカナの可愛らしい名前を挙げていたがイマイチしっくりこず、とっつぁんが唯一挙げた“里美”は誰も議論しようとすらしなかった。
 結局、全員が納得した名前は一つしかなく、春にもらわれてきた彼女の名前は“もも”になった。

 暴力大好きの超絶問題児だった私だったが、もものことは目に入れても痛くないほど溺愛していた。三カ月経つと彼女の居住空間は庭になったのだが、はじめは玄関で飼っていたので、おはようとおやすみはもちろん、餌の時間や寝ている時、頭を掻いている時と、私はももとずっと遊んでいた。向こうも悪くないようで、遊んでいる時はずっと楽しそうだった。

 ももの世話は飼いたいと言い出した私の担当だった。朝と夜に餌をあげ、夕方には散歩に行った。ももは朝私が二階から下りてくる足音を聞くと喜んで餌をねだり、私が中学に上がって自転車で帰ってくると散歩に連れて行けと跳ね飛んだ。

 犬は“家の中で偉いものランキング”をつける動物で、ももの水無家の評価はこのような感じだった。

・おかん
・私
・もも
・とっつぁん
・姉二人とおばば

 下位三人は気が向いた時にしかももと遊んでいなかったので当然だが、なぜ全ての世話をしている私よりおかんの方が上なのだろうか。しかしこれはももの態度を見ていると明らかで、私の言う事を聞かなくてもおかんの言う事なら素直に聞くことが多々あったのだ。
 とっつぁんは私やおかんが散歩に行けない時に代行するくらいだったので、順位は低かった。ちなみに大阪の大体の家庭の例に漏れず、人間限定のランキングでも大抵のことにおいてとっつぁんよりもおかんの方が権力を持っているので、彼の権威はなかなか日の目を浴びない。私も将来こうなるのだろうか……。不安である。

 ももは躾に失敗したのかアホ犬になり、田舎なのもあって散歩では大暴走、雷が鳴ると首輪を器用に外して塀を乗り越え、犬友達の家に逃げ込んだ。
 全速力で走るももに引っ張られたおかんは転んで顔面を強打するという事件まで起きた。

 続きを書く前に、これを先に言っておきたいと思う。

 私は、動物を飼う資格がない。

 高校、専門学校と歳を重ねていくにつれ、ももへの愛情がかなり薄れていった。散歩は面倒くさいし、うんちを処理するのもいつも「おえっ」と嘔吐きながらやっていた。気まぐれでおもちゃやお菓子を飼って与え、頭を撫でたりはしたものの、日常的に可愛がるということが出来なくなってしまっていた。

 私が二十二歳、ももが十四歳半の日曜日の夕方、餌をあげた時にももの身体にノミがたくさん付いているのを見つけた私は「そういえば最近全然かまってあげてなかったなぁ。よしもも、明日病院に行ってノミ取りをしてもらおう。そして今日は今からお前のお菓子と大好きな骨のおもちゃを買ってきてあげるから、明日病院から帰ったらまた昔みたいに遊ぼうな」

 そう言って私は頭をポンポンと叩いて雨戸を閉めた。その時、閉じられていく扉の隙間からこちらを見つめるももと目が合った。

 翌朝、私が目を覚ました時にはももは息をしていなかった。十四年半という長く短い命は、老衰で幕を閉じた。
 私の手元にはビーフジャーキーやササミのお菓子が数種類と、大きな骨のおもちゃだけが残った。

 ももがいなくなって数日が経ったが、私はまだ未開封のお菓子を処分できずにいた。これを捨ててしまうと、本当にももが消えてしまうような気がした。
 だけど今まで数年間、ろくに相手をしてこなかった私に悲しむ権利などないのだと思った。いなくなってから後悔するなんて勝手だ。あまりに自分勝手な感情の押し付けだ。

「死んだ時が悲しいからペットは飼わない」という声をよく聞くが、私は少し違う。最初だけ可愛がってあとはろくに愛情を注げず、死ぬ間際に思い出したかのようにおもちゃを買って仲直りをしようとした自分が許せなかったのだ。

 こんな私が飼い主で、はたして彼女は幸せだったのだろうか。こうして彼女を思い返す時、私の中に渦巻く後悔は彼女をさらに不幸にするのだろうか。あるいは後悔は心の奥に潜ませていい思い出だけを記憶に留めた方が、彼女にとって幸せなのだろうか。

 しかし私はどれほど後悔し、慙愧の思いで溢れても、飼わなければよかったとだけは絶対に思わない。もし叶うのなら、私が彼女に伝えたい言葉は二つだけだ。
「今までごめんね、だけどありがとう」
「もも、どうか安らかに」

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