地獄の画家卍イラストエッセイ水無

俳優として全国CMで主演を務め、入社した映像制作会社で「喋りが面白いから」となぜかYouTuberにさせられてうっかり1,000万回も見られてしまう。地獄のようなイラストを添えたエッセイを毎日公開中。書籍化したいので、皆さん応援してくださいね☆

昼まで目が覚めなかった日々【エッセイスト水無】

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「あんたいつまで寝てんの! もうお母さん仕事行くから!」
 朝、おかんがブチギレながら布団を剥いくれていた時はまだ幸せだった。

  小学五年の頃からだろうか。私は朝起きられない子どもになりつつあった。どうして起きられないのかは自分でも分からなかった。遅くても二十二時には寝ていたので、朝の七時まで寝たとしても九時間はある。しかし目覚まし時計がどれほど凄まじい音をかき鳴らしても、私の眠りが覚めることはなかった。世が世ならお姫様である。
 それまでは目覚まし時計で起きなかったらおかんが二、三度起こしに来るというオペレーションだったのだが、あまりに起きられないので「目覚まし時計を増やしたい」と訴えたところ、当時資生堂のテレビCMにもなっていたイワトビペンギンのロッキーの目覚まし時計が買い与えられた。これは時間になると『ピョンピョコリーン! ランラランラランラララキャッホー!』という凄まじくファンシーな音を出す代物で、私はこれを普通の目覚ましが鳴った五分後にセットして眠りに就いた。
 翌朝、一つ目の普通の目覚ましにはまったく気付かなかった私だが、この新参者に叩き起こされることとなった。このイワトビペンギン、音がファンシーなだけでなくとてつもない爆音なのだ。私はあまりの大ボリュームに驚いて飛び起きると、久々に自力で起きたことにおかんはえらく喜んでくれた。こんなにも喜んでくれるのならと、私は次の日からイワトビペンギンと共に起床する努力を続け、ある程度自力で起きられるようになった。

 そんな生活が一年ほど続き、順調だと私含め誰しもが安心しきっていた頃、事件は起きた。私は低血圧で低体温というのもあり、いつも目覚めて五分ほどは非常に機嫌が悪かった。そのイライラの被害者になったのが彼、イワトビペンギンだった。その日も彼は『ピョンピョコリーン!』と軽快な歌で私を起こそうと懸命に歌っていたのだが、特別寝起きの悪かったその日の私はそのあまりに軽快な歌声にカチンときてしまい「うるさーい!」と彼を壁に向かって投げ飛ばしてしまった。すると中の回路が壊れたのか、あれほど軽快だった歌声が『キャ ッ ホ ー …… ピョン ピョコ リーーーーーーーン……』と今にも死にそうな歌い方に変わってしまい、私は大慌てで起き上がって彼を振って叩いて電池を抜き差ししてと治療に当たったが、彼が元気な声を取り戻すことはなかった。

 イワトビペンギンがいないまま中学に入り、症状はさらに悪化した。MDコンポが近所に明らかに迷惑であろうボリュームで大合唱をしていたが、私は気付かず眠り続けた。家族は耳を押さえないとまともに立っていられないほどのボリュームだと言っていたが、どうして私はそれで起きられなかったのだろう。ここまでくるとそれはもう一種の才能なのではないかと考えたこともあったが、口にすると家族から非難の目で見られることは分かりきっていたので、私は特にそのことを誰かに話そうとはしなかった。
 この辺りになると家族も慣れたもので、私の目覚めが昼になったとしても、もう誰も咎めようとはしなくなっていた。おかんは「あんたの人生やねんから自分で何とかしなさい。学校に行かんくてあんたが将来困るんやとしても、それはあんたが選んだ人生なんやからそれを受け止めて生きていきなさい」と、見放したのか自主性を育もうとしていたのか際どい教育方針に切り替え、私が持って行くべき弁当を台所に置いたら、もう私を起こそうとすらせずにパートに出かけた。
 私はと言うと学校に行かずに済んだ解放感と罪悪感がちょうど半々くらいの心模様で、起きだすと本来学校で食べられるはずだった弁当を、居間でワイドショーのちちんぷいぷいを見ながら食べた。どこの専業主婦かと言ったようなランチタイムだったが、この時が罪悪感のピークだった。その後は適当に時間を過ごし、下校の時間になると友人と遊んだ。そんなゴミのような生活が週に一、二度あり、学校の成績は急降下していった。

 高校に入っても状態はやはり改善されず、ドラキュラかと思うほど朝の光を浴びずに過ごす日々が続いた。このままだと出席日数が足りずに退学になると、担任がえらい剣幕で怒鳴り込んできたこともあった。そんな担任のおかげで私は何とか高校を無事卒業したわけだが、その後の専門学校もやはりいくらか欠席し、どうしようもない生徒というレッテルが貼られたまま卒業を迎えた。

 だが働き始めてから、私はすんなりと起きられるようになった。それは本当に青天の霹靂と呼んでもおかしくないほど突然のことだった。私は朝に目覚ましが鳴ると誰に起こされるわけでもなく一人で目覚め、遅刻もまったくしなかった。想像だが、私はとにかく勉強が生理的に受け付けず、精神やら自律神経やらがおかしかったのではないだろうか。友人も多かったので、学校自体は行けば楽しかったのだ。

 今でもあのイワトビペンギンの悲しい声が鮮明に記憶に残っていて、たまに夢でも見る。今度実家に帰ったら、一度修理してみよう。もう一度彼に、あの軽快な歌を歌ってほしい。

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これからもエッセイを投稿していきますので、気に入っていただけましたらまたご覧ください。
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