娘のうんこについて【エッセイスト水無】
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汚い話で申し訳なのだが、今回はうんこについて書きたいと思う。
私の娘は現在七カ月なのだが、当然うんこをする。彼女は何の前触れもなくうんこをするし、うんこをしてもそれが当然の所業であるかのような表情で私を見る。当然だ、彼女はまだ赤ちゃんなのだから。
しかし問題は彼女が当然のような顔でうんこをすることではなく、それを処理する側にある。私はつり革や手すりに触れないと言ったような重度の潔癖症ではないが、いくらかそういったきらいがある。ドアはなるべく人が触ってなさそうなところを押すし、知らない人と握手をするのは気になる。昔、飼っていた犬の散歩中にビニール袋をひっくり返してうんこを拾うのが嫌で嫌で仕方なく、いつも目を逸らしてえずきながら拾っていた。
そんな私が、娘のうんこに触れるわけがない。いくら可愛い娘のものとはいえ、うんこはうんこ。凶悪な見た目で悪臭を放つ、ただただ気持ちの悪い排泄物なのだ。
私が初めて彼女のうんこに出くわしたのは、生後二カ月の時だった。育休を取っていたので一日家にいたわけだが、どういうことかそれまで私はうんこと遭遇したことがなかった。「ははーん娘め私がうんこに怯えていることを察しているな?」などと呑気なことを思っていた矢先、当然奴はやって来た。
オムツのおしっこお知らせラインが黄色から青に変わっていたのを見つけた私が、オムチェンの歌という謎の歌を熱唱しながら彼女のオムツをチェンジしかけた瞬間、もりもりとうんこが彼女の真っ白な尻から溢れてきたのだ。私は「おう、おう、おう!」と奇怪な声を上げながら慌てふためき、外しかけていたオムツを再び元に戻した。熱唱していたオムチェンの歌などとうに忘れていた。
『うんこをしているのでよろしくお願いします』と言われて心の準備をしていたのならまだしも、こちらはあまりにノーガード戦法。あれほどまでにパニックになったのは久しぶりだった。一瞬妻に助けを求めようかという案が頭をよぎったが「うんこしてるよ」とだけ言って子どもを渡してくる夫に嫌気がさすといった記事を何度も読んだことがある私に、その選択肢を選ぶ道はなかった。
気持ちを落ち着け、息を止めてもう一度確認してみると、まあまあな量が排出されている。このまま素手で処理するのは不可能だと判断した私は、使い捨てのビニール手袋を備蓄していることを思いだした。
「あれだ!」私はキッチンへと駆け出し、手袋を両手に装着すると、両手を胸の前に上げたまま再び娘の前へと立ちはだかった。さながら手術前のブラックジャックである。
息を止め、顔を逸らし、半目でオムツを恐る恐る外すと、大量に引き抜いたおしり拭きで一気に拭いていく。汚い話で申し訳ないのだが、まだ離乳食も始まっていないためゆるゆるのうんこだった。私は冗談ではなく脂汗をかきながら、通常ではありえない量のおしり拭きを消費し、なんとか娘のファースト・うんこ処理に成功した。
七カ月の今でも私はおしっこだろうがうんこだろうがビニール手袋をはめてお尻を拭いている。『素手でそんなことも出来ないなんて親の自覚がないのか!』と怒り出す人もいるかもしれないが、私には手袋をつけずに処理したトラウマで二度とオムツ替えをしなくなるか、手袋をつけてひとりで処理するかの二択しかないのだ。どう考えても手袋をつけた方がいいに決まっている。
子どもができたからって、生理的に受け付けないうんこを全人類が急に素手で触れるようになるとは思わないでほしい。
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これからもエッセイを投稿していきますので、気に入っていただけましたらまたご覧ください。
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