地獄の画家卍イラストエッセイ水無

俳優として全国CMで主演を務め、入社した映像制作会社で「喋りが面白いから」となぜかYouTuberにさせられてうっかり1,000万回も見られてしまう。地獄のようなイラストを添えたエッセイを毎日公開中。書籍化したいので、皆さん応援してくださいね☆

月額三十円のお小遣い【エッセイスト水無】

f:id:Essay_Miznashi:20200624151624j:plain

読み終わった後はぜひブックマークボタンを押して応援お願いします(‘∀‘)

 初めてのお小遣いは、月に三十円だった。
 小学三年の時、近所のガチャポンを回したくて気が狂いそうになった私は、おかんにお小遣いをねだった。翌日、夫婦で相談をしたのか小遣いの承認が下り、一ヶ月分のお小遣い三十円を貰った。初めてお年玉以外でお金を貰った私は大喜びでサルのように跳ね回り、さっそくヤマザキパンの前にあるドラゴンボールのガチャポンを回しに出かけた。しかしどうしたことか、十円玉を入れてもそのガチャポンは回らなかった。

 「ぬ?」
 おかんから貰ったばかりのお金が壊れているはずがない。私はガチャポンが故障しているのだと思い、ヤマザキパンのおばちゃんにその旨を伝えた。するとおばちゃんの口から出てきたのはあまりに無慈悲な言葉だった。
「それ一回百円やから、お金足りへんねぇ」
 ガーンという効果音が頭の中でこだまする。金額の大小の判別もつかない私を、おかんはガチャポン一回さえ回せない金額でサルのように踊らせたのだ。私は怒り心頭で家に戻り、貰ってわずか十分で第一回小遣い値上げ交渉を始めた。ガチャポン一回さえ回せない額でどうひと月楽しめというのか。
 しかしおかんは怯むことなく『小遣いとは我慢してコツコツ貯めて、ようやく欲しいものを手に入れるものだ』と教えを説き、私のあまりに早すぎる値上げ交渉を淡白に退けた。今となっては彼女の考えはとても良いものだということが分かるが、当時の私にとってガチャポン一回さえ回せない小遣いはストレスでしかなかった。

 ガチャポンを回せないまま、私は小学四年になった。友人から、お小遣いというものは学年が上がるごとに微増していくシステムであるとの話を聞いていた私は、始業式が終わるとすぐにおかんの元へと走った。友人の話を聞く限り、やはり三十円はあまりに少なすぎる。私はこの一年、水無君の家は貧乏なんじゃないかと邪推されるのを恐れ、小遣い額に関しての話題を避けてきたのだ。せめてガチャポン一回を回せるぐらいの額を貰わなければ、我が家は貧乏なのだと認めざるを得なくなる。この頃の私はあまりに小遣いが少なすぎて、なかば金の亡者になっていたのをよく覚えている。
 家に帰るなり、私はおかんに小遣いの話を持ちかけた。また渋られるのではないかとすると危惧していたが、彼女は意外な言葉を口にした。
「うちはお小遣い、学年×百円にしようってお父さんとこないだ決めたから。今月から四百円あげるよ」
 なんと、ガチャポン一回分貰えれば御の字だと思っていた小遣いが、四回分になったのだ。私はまたサルのように家中を駆け回り、セレブリティーな未来の自分を祝福すると共に、我が家は貧乏なのかもしれないという恐怖から解放された。

 中学では学年×千円の方式で小遣いが与えられたが、その頃の私はゲームと音楽、そしてファッションに夢中だったため、懐はどんどんと寒くなり、親に小遣い値上げを談判したが、あんたは金遣いが荒すぎると一蹴されてしまった。しかし諦めてはいけない。生きるのに必要なゲームとCDと服を買うお金が枯渇しては大変だ。私は英単語を必死に覚えるので成果報酬をくれと、勉強を引き合いに出して再度交渉に移った。おかんは普段そういった甘やかしをしない人なのだが、勉強が最悪レベルに嫌いな私が初めて勉強をするからと口走ったことに感動したのか、一単語十円という思いのほか高報酬を約束してくれた。
 しかしこれには思惑があった。マセガキの私は英語の音楽ばかり聴いていたので、英単語を覚えるのは音楽の知識にもなり、私は楽をして小銭を稼ぐことができた。しかし私があまりのハイペースで単語を覚えてくるのに焦ったおかんは、ある日突然報酬額を一単語二円に改悪した。急な減額で興をそがれた私は、その後英単語を覚えようとしなくなった。
「減額するから勉強しなくなったのだ。元に戻してくれたらまたするけど~」などとおかんをそそのかしたが、彼女は金で勉強を釣るのは良くないことだと今さらもっともな意見を口にし、この話は終わりを迎えた。

 高校に入ると一律五千円の小遣いをもらったが、携帯電話を持っていないのはクラスでも少数だったため、買ってくれと頼んだところ「小遣いでやりくりしなさい」と言われたので、Jフォンショップで契約をしたのだが、どう考えても毎月赤字になるので、近所のラーメン屋で時給七百円のアルバイトをすることにした。よって私の小遣い人生はそこで打ち切りとなった。
 しかし明確な理由があったとはいえ小学三年で月三十円はやはり少なすぎたのではないかと、たまに家族で話題に上がる。

――――――――――
これからもエッセイを投稿していきますので、気に入っていただけましたらまたご覧ください。
ブックマークや感想を残していただけると非常に嬉しいです。質問等もお気軽にどうぞ。喜んで返信させていただきます。
ありがとうございました。