妻が産後鬱になり、私が育児休暇を取って5カ月が過ぎた【エッセイスト水無】
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去年の11月、第一子が生まれた。立ち合い出産だったため、産まれた時は妻の頑張りと娘の産声を聞き、こみ上げてくるものがあった。
しかし週末に病院へ行って面会しても、可愛いとはまったく思えなかった。こう言うとなんとか団体や女性達からバッシングを受けるのであまり大きな声では言えないが、起きればすぐ泣くし、顔はおサルさんなのだ。我が子だからと無条件で愛しく思えるような美しい心を、私は持ってはいなかった。
だがこの子を守っていくんだという強い意志、あるいは父としての自覚のようなものは産まれた姿を見た瞬間に心に宿った。子を体内に宿す母親と違い、父親は自覚が芽生えるのが総体的に遅いのだ。
12月の半ば、退院後実家でひと月過ごしていた妻が家に戻ってきた。これから新しい生活が始まるのだと、心が躍ったものだ。
12月の終わり頃、妻の様子がどこかおかしくなり始めた。私の帰宅を出迎えてくれる表情の明るさが、いつもよりも二、三度低いのだ。どうしたのかと聞くと「育児って大変だね」と彼女は言った。そしてその後も彼女が元気になることはなく、色々と調べてもらった結果、産後鬱であることが分かった。
産後鬱と言うのは字を見て何となく分かるとおり、出産後にかかる鬱病のことだ。これは出産後の女性であれば一定の確率で誰しもがなりうるもので、本人の問題ではないそうだ。
年明け1月、私は会社に状況を説明し、育児休暇の申請をした。会社ではまだ取得した者はいなかったが、今は家族を優先して構わないと快く受理してくれた。取得開始日までの間、私は会社では引き継ぎ作業を行ない、家では可能な限り夕飯の準備や買い物、洗濯等の家事を受け持った。
ちなみに男性の育休取得率がわずか6パーセントほどと恐ろしく低いのは『妻が家にいるのに男が育休を取る意味が分からない』といったように、男が取る制度ではないという考えが未だ根強いことと、あってはいけないことだが会社によっては出世コースから外されることがあるため、育休を取りたくても言い出せない例もあるそうだ。
そんなこんなで、私の育休生活が始まった。妻の産後鬱は重度のものではなく、一人で家にいて子どもの世話をしていると不安が押し寄せてくるもので、私が家にいる時は普段と何ら変わらない様子だった。おそらく、右も左もわからない子育ての中でもし何かあったらどうしようという焦りが彼女を混乱させているのだと思う。
我が家は粉ミルクをまったく使っていないため、泣いて起きて食事をしてすぐ眠る深夜の世話は彼女に一任している。私が起きても出来ることはほとんど何もないのだ。
その代わり、朝起きた後は寝不足の妻を寝かせるため、私が娘の世話をする。そして3~4時間経って腹が減ったと騒ぎだせばまた彼女の元に連れていくという生活サイクルが構築されていった。
洗濯は元々私が全てやっていたのでそのまま継続して問題ないのだが、問題は夕食だ。私は料理が大嫌いなのだ。特に献立を考えるのが苦痛でたまらない。しかし18時半を過ぎれば娘は風呂に入ってそのままお休みとなるため、私が作る他ない。しかし私は重度のケチなので外食や弁当を買うのは嫌だという、生きづらく面倒くさいことこの上ない性格をしているのだ。
19時になると、私は妻に指示されたレシピを作るロボットになる。嫌いとは言え、美味しんぼを全巻読破している私に死角はない。わりと器用にこなすことは出来るのだ。ついでに離乳食もこの時まとめて作る。
寝かせ終えた妻が寝室から出てくると料理を仕上げ、私の部屋で食べる。そしたら順次風呂に入り、寝るまで好きなように過ごす。これが二人して育休を取っている今の我が家の生活だ。少し負担しすぎかと思ったこともあるが、私は毎日7時間半は寝させてもらっているのだ。睡眠は、何ものにも代えがたい。
働いているよりはお互い時間が取れるのでいろいろな場所に行きたいと思っていたが、あいにくコロナウイルスの蔓延でそれどころではない。私達は徹底した対策を取っており、必要最低限の買い出しにしか行かないのだ。
当初、会社にはゴールデンウイーク前には復職予定だと伝えていたのだが、保育所がコロナの影響で閉鎖となったため、夏頃の復職となった。
大変なことは色々あるが、本来なら見られなかった娘の成長を見ることができて、育休を取ってよかったと思う。
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これからもエッセイを投稿していきますので、気に入っていただけましたらまたご覧ください。
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