地獄の画家卍イラストエッセイ水無

俳優として全国CMで主演を務め、入社した映像制作会社で「喋りが面白いから」となぜかYouTuberにさせられてうっかり1,000万回も見られてしまう。地獄のようなイラストを添えたエッセイを毎日公開中。書籍化したいので、皆さん応援してくださいね☆

大嫌いな習い事四~公文の宿題を傘立ての下に捨てる~【水無のイラストエッセイ】

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 我が人生最大最悪の習い事は公文(くもん)だった。「くもん、いくもん♪」の歌でお馴染みのアレだ。

   第一話で書いたように私の姪っ子達はやれ歌だピアノだバレエだと楽しそうな習い事ばかりしているのに、なぜ私のおかんは習字だそろばんだ公文だと“子どもが絶対にやりたくない習い事ランキング”上位に食い込んできそうなものばかりピックアップしてくるのか。勉強嫌いで成績がゴミ以下だったので自分の蒔いた種だと言われればその通りだが、この凶悪な習い事軍団のおかげで私の勉強嫌いがさらに加速したのは言うまでもない。

 恥ずかしげもなく私の小学校時代の通信簿の内容を公開すると、こんな感じだ。

国語:二
算数:二
社会:二
理科:二
音楽:四
図工:三
家庭:三
体育:五

 小学校の時点でこれだったので、中学高校の成績についてはお察しいただきたい。
 勉強が壊滅的だったのには理由があり、私は学校では隠れて小説を読んだりゲームの攻略方法などを考え、学校が終わると家に帰らずそのまま夕方まで外で遊び、家に帰るとアニメだ漫画だゲームだとカツオ君もビックリなほど遊び惚けていたためだ。おかんはそんな私に勉強の機会を作ろうと企んだのではないだろうか。

 公文の教室はこれまた都合の悪いことにうちから徒歩一分という好立地だった。習字、そろばん、公文と、全部はしごしてうちに戻っても七分という恐るべし魔のトライアングルと隣合わせの位置に立つ我が家に産まれた私は、通うべくしてそれら全てに通うこととなったのだ。

 習字やそろばんというのはまだ“習い事”の毛色が強かったが、公文となるとそれはもう完全に“塾”の領域のため、私は絶対に行きたくないと抗議したが、おかんの圧力に適うはずもなく「クソーグレてやるからな!」とキッズ丸出しの台詞を吐いて私は公文に通うことになった。

 公文の教室は十数人が一度に学習できる広さの和室で、先生がそれぞれのレベルに合わせたテキストを配って問題を解くというものだった。どんなレベルだったかまではさすがに正確に覚えていないが、私に合わせたレベルということは株式会社公文教育研究会が用意した全テキストの中で一番低レベルなものだったに違いない。
 私は目を輝かせて習い事を楽しむ姪っ子達とは真逆で、初日から恐ろしい顔つきで門を潜ったことをよく覚えている。本当にグレるつもりだったのだ。
 テキストの内容は学校の授業で使うようなものではなく、業務用印刷機で綺麗に印刷された白い紙のもので、内容もただ解くだけでなく少し変わった考え方が必要だったため、内容自体はクイズ感覚で面白かったのだが、気を緩めてはいけない。私はグレることで早々にこの公文を辞め、もう二度と勉強系の習い事などしないぞと意気込んでいたのだ。

 私は愛読書の“今日から俺は!”と“カメレオン”を読んでグレ方を研究していた。自分が親なら絶対に真似してほしくない漫画群である。
「あんた公文はどうなん?」と聞かれると「おう、バリバリだぜ」と答え、「いいから宿題やりなさい」と怒られると「明日の朝刊載ったゾテメー!」と叫んでいた。死にたい。

 そうしてグレる勉強をしながら公文に通うというハイブリッドな生活を続けること二カ月半、ついに私は限界を迎えた。友達が遊ぶ約束をしているなか「今日は公文やから……」と抜けることに耐えられなくなったのだ。
 決意のその日から、私は宿題をしていくのをやめた。当然宿題を毎回していないことで公文で怒られ、その連絡を受けたおかんに怒られ、宿題を終えるまでテレビを見させてもらえなかった。

 こんな地獄のような生活があってたまるか。私は公文の宿題こそ全ての元凶と断定し、宿題をすべて公文塾の傘立ての下に捨てて来るという暴挙に出た。当然家に帰ると宿題が無いことを問い詰められ、白状するまで夕食抜きにされたがここで折れるわけにはいかない。私はその後も頑として夕食を食べずに傘立ての下に宿題を捨て続けた。

 そんな奇行が一週間続いたある日、私が破棄した宿題達の圧迫によって傘立てが倒れ、捨てられていた大量の宿題が先生に見つかった。そんなクレイジーな生徒は私しかいなかったため、すぐに我が家に連絡が入り、おかんは私を散々叱りつけた後「お母さんは悲しいわ」と途方に暮れた。

 それ以降私が公文に行くことはなかった。そんな事をしておいてどの面下げて先生に会えばいいのか分からなかったのだ。

 公文の内容自体は面白かったので良かったのだが、“役に立つ系の習い事”にほとほと嫌気がさしていたタイミングと、私の意思を全て無視して契約をした怒りとが合わさって、過去最悪の習い事の座に君臨することとなったのだ。

 勉強と言えば私はたまに送られてくる進研ゼミの漫画が好きだったので、公文に通う少し前に「これ面白そう」と言ったのだが「この子は自宅では絶対に自習しない」と判断したおかんに断られた。
 本人の口から興味があると言った進研ゼミならあるいは違う未来があったのかもしれないが、ただ私は「ここ、進研ゼミでやったやつだ!」と言いたかっただけなので、おそらく同じような末路を辿っていただろう。

 私には今八ヶ月の娘がいるのだが、もし私のような性格になってしまったら正しく教育できる自信がない。本当に厄介なクソガキだったのだ。
 子育てというのは本当に難しいなと、私は娘の世話をしてそう思うのではなく、今のように自分の幼少期を振り返った時にそう思う。

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