ツーリングチームを作った話【水無のイラストエッセイ】
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原付以上のバイクを買う人には様々な理由がある。通勤や通学、買い物などを時速三十キロでチンタラ走るのが嫌な人。バイクに興味があって一人で自由気ままに出掛けたりカスタムをしたい人。友人やチームでツーリングをしたい人。
私が十九歳の時にバイクを買った理由は一つ目の“チンタラ走りたくないから”だった。特にバイクに興味があったわけでもないし、ツーリングをしたいとも思っていなかった。しかしいざ乗ってみるとどんどんバイクに興味がわきはじめ、次第に誰かとこの思いを共有したいと思うようになった。
二〇一〇年頃、ミクシーをやっていないと人権がないと言われるほどに世間で大流行していた。私はと言うと人並み以上に活用していて、日記と言う名の奇妙奇天烈な文章を毎日全世界に解き放っていた。
そんなミクシーを代表する機能がコミュニティだ。同じ趣味を持つ人達が集まり、情報交換や会話を楽しむ場所なのだが、私はその中の“国産アメリカン”というコミュニティの中でツーリングチームを立ち上げようという話を数名として、早速行動に移った。
最初は有志数名でチームの名前や参加条件などを考えた。参加資格はヤマハやホンダ、スズキやカワサキなどの国産アメリカンバイクに乗っていること。大人として挨拶が出来る、自分の行動や事故に責任が持てること。
あとは私がロゴを考え、画像編集ソフトのイラストレーターを使えるおっちゃんがそれを形にして準備は整った。
初めてのツーリングは伊賀上野に行こうということになり、いざメンバー募集を開始するとことのほかスムーズに人が集まりはじめた。企画者のバイク道三十年のおっちゃんは集合場所からルート、目的地、寄り道の場所や解散場所をバシッと決め、企画発表から当日までの二週間はチャットで大いに盛り上がっていた。
最終的に参加者が十二名になった時点で募集を締め切った。もっと増やそうと思えば増やせたが、初めてということもあり、大規模になって混乱が生じては管理しきれないと思い、中規模ツーリングにしようということになったのだ。
開催当日、私は胸が躍りまくりで集合場所に向かった。なんたってこういうイベントに参加するのは人生で初めてなのだ。今までは服も音楽もバイクも同じ趣味の人がほとんどおらず、共通の趣味の話が出来ない人生だったので、否が応でも期待は高まる。
集合場所に着くと、ヤンチャそうなアメリカンがすでに数台並んでいた。私の住む阪南市は田舎で、そもそも他人がアメリカンに乗っている姿を見ることさえほとんどないため、遠目からその姿を視認しただけで泣きそうになった。
メンバーはおっちゃんが五割、若者が二割、女性が二割、三~四十代のお兄さんが一割といったところ。ミクシーでの集まりという特性上、顔を初めて見る人もたくさんいたし、本名だって知らないのでニックネームで呼び合うことにした。
全員が集まると経験者が先頭や中央、最後尾につくなどの配置を決めて出発した。これは走行がスムーズにいくためのもので、先頭は主に企画者がナビを担い、中間は信号等で隊列が分断された時に上手く処理する役、最後尾はトラブルがないか全体を見て、何かあれば急行したりする。こういう役割分担が地味に大切なのだ。
何度か休憩を挟みながら目的地に着き、昼食を食べて手裏剣を投げたりして伊賀上野の町を満喫した。初対面とは言えこれまで密に連絡を取り合ってきた仲間だったので、年齢の垣根を越えた結束のようなものがあり、初対面の気まずい雰囲気などはまったくなかった。事故やトラブルもなく、第一回ツーリングは成功という言葉と共に幕を閉じた。
その後、第二回第三回と回を重ねるごとにどんどんメンバーは増えていき、最終的に七十五人にまで増えた。チームが大きくなるにつれて企画者も増え、比例するようにツーリングやオフ会の数も増えた。だが芝居をやっていた私は時間もお金もあまりなく、徐々に参加出来なくなっていき、次第にチームから心が離れていってしまった。
そして私がカナダへ留学することになり、一時期サヨナラということで初めてイベントを企画して“琵琶湖ツー”を二十台ほどの大所帯で敢行した。だが帰国後に関東へ引っ越してしまったのでそれ以降一度も参加できないまま時は過ぎ、ミクシーの過疎化と共にチームも自然解体となった。
その後も親交の深かったメンバーとは媒体を変えて今でもたまにやり取りをしているが、それも数えるほど。他のみんなが今どこで何をしているのかは分からない。
昔作ったチームのポロシャツをふと見ると、あの時の輝きが今でも鮮明に思い浮かぶ。発足から三、四年が経って、徐々に過疎になってくるとみんな口々に「寂しいね」と言ったが、継続したいのであればもっと計画を立てればよかったのだ。なのに誰もそれをしようとしなかった。
思うに、廃れてしまうのは寂しいけど、活動しようという気力だけが抜け落ちてしまっていたのだ。好きという気持ちはもうないが、情で別れられない恋人達のように。マンネリ化により飽きて、疲弊してしまったのだ。
関東に来て一度だけネットで見つけた軽井沢ツーリングに飛び込みで参加したことがあるが、交通ルール順守のかつてのチームと違ってみんな高速道路で嘘のように飛ばし、このまま途中で帰ろうかとも思った。それ以降、ツーリングには参加していない。
気の合う仲間達でまた走れたらいいなと思いながらもなかなか行動に移せないのは、かつてのきらめきが眩しすぎるからなのだろうか。
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