地獄の画家卍イラストエッセイ水無

俳優として全国CMで主演を務め、入社した映像制作会社で「喋りが面白いから」となぜかYouTuberにさせられてうっかり1,000万回も見られてしまう。地獄のようなイラストを添えたエッセイを毎日公開中。書籍化したいので、皆さん応援してくださいね☆

爆速小学生が作文を倍書かされた結果【水無のイラストエッセイ】

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 勉強が大嫌いで成績も下の下だった私だが、なぜか作文だけは人一倍得意だった。今回はそんな私がどういう道を辿ってエッセイストになったのかを書いていこうと思う。

  小学四年のあたりから私は作文に関してのみメキメキと頭角を現し、作文において私の右に出る生徒はいなかった。書き終わった生徒から外で遊んでいいという制度だったため、私は魔神の如く速度で必要枚数を書き上げ、外で遊んでいた。

 担任教師の経験上、四十五分の授業時間のうち三十五分から四十分ほどかけて仕上げられる枚数を設定していたらしいのだが、私がいつも十五分ほどで書き終えてしまうので、ある日私だけ必要枚数が倍になった。これにはこちらも面食らって抗議した。なんたってこっちは早く外で遊びたいがために全神経を集中して作文を仕上げていたのだ。他の生徒が行き当たりばったりで文章を書き進めているのに対し、私は全体の内容を最初の一分ほどで構成し、その構成に沿って一気に書くという『早く書き終えるための努力』をしていたのだ。早すぎるから倍書けというのは非常に心外である。

 倍の量を書くことになって最初は上手く書けず、他の生徒と同じかあるいは多少時間がかかるようになってしまった。これまでの書き方だと圧倒的に文字数が足りないので、構成を変える必要があったのだ。
 今でもよく覚えているのだが、私は『出来事の説明→感想』だった構成をやめて『リード文→出来事の説明→感想』というように項目を一つ増やした。このエッセイのように冒頭で『何について書きますよ』と作文のあらましを書くか、あるいはハイライトのセリフから始めるといったようなやり方に変えたのだ。さらに合間でちょっとしたユーモアを挟んだりすることで、作文が長くなることによる中だるみを防ぎつつ文字数を稼ぐという技法まで身に付けた。

 倍の量を課せられて三、四回の作文の授業を経た私は三十分程で書けるほどに成長し、再び誰よりも先に外へ遊びに行けるようになった。通信簿ではそのことを褒められ、いつも通信簿を見ては苦虫を噛み潰したような顔をしていたおかんが、珍しく顔を輝かせていたのをよく覚えている。

 始めは不満タラタラだったが、おそらく私はこの事がきっかけで文字を書くのが好きになったのだと思う。
 元々本を読むのは好きだった。江戸川乱歩星新一さんのショートショートをこよなく愛していたので、周りよりは活字に触れる機会は多かったと思う。本を読むことで誰から教わるでもなく自然と文章力がつき、このようなことになったのだ。

 その後中学二年頃から作詞に目覚めた私は作詞ドットコムというサイトで投稿し始め、その後自分で結成したバンドで使用したものや提供したものを合算すると二百以上は歌詞を作った。
 さらに二十五歳の時に初めて長編小説を書き、これまで六作を書き上げた。

 完全に趣味で書いていたのだが、最近何かの間違いで書籍化出来ないかなどと舐めた夢を見ている。今でも勉強は超がつくほど苦手だが、映像制作の職場では台本やナレーションの原稿を書いたりということを得意としている。
 遊び時間を削られたと当時憎んでいた担任の先生だが、大人になった今、私は彼女に大いに感謝すべきなのだろう。

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