地獄の画家卍イラストエッセイ水無

俳優として全国CMで主演を務め、入社した映像制作会社で「喋りが面白いから」となぜかYouTuberにさせられてうっかり1,000万回も見られてしまう。地獄のようなイラストを添えたエッセイを毎日公開中。書籍化したいので、皆さん応援してくださいね☆

ワーホリ体験記九~卒業と仕事、そして帰国~【水無のイラストエッセイ】

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 カナダでの生活が始まって三カ月目のある日、日本の友人達と急に「サーモン丼が食べたい!」となったので、近所のスーパーでサーモンを買った。

 『海外のスーパーで生魚を買って食べるな』と言われているのは重々知っていたが、我々は鮮魚コーナーのおっちゃんに「サーモンを生で食べたい」と相談したところ「ワオさすがジャパニーズ! 任せろ奥からとびきり鮮度のいいやつを持って来てやるぜ!」と言ってくれたので安心してサーモンアボカド丼を作って食べたのだが、見事に私だけが食中毒になった。
 私は激痛の腹を抱えてようやくの思いで病院に行き、海外保険を使うので領収証をくれと伝えて受診した。だが病院というのはまた難しいもので、普段使わない言葉が飛び交いまくるのだ。私は医者が何を言っているのかよく分からなかったので「とにかくサーモンを生で食べてから腹が痛い。薬をよこせ」と伝えると、見たことのないやたらと甘いジュースのような薬を処方された。良薬口に苦しという言葉を信じる“風邪引きのプロ”である私は「あいつはやぶ医者に違いない」と勘ぐっていたが、薬を飲んで半日で症状はかなり緩和された。彼は素晴らしい医者だったのだ。
 付け加えるとその数週間後に私は自分で作ったチャーハンで再び食中毒になるのだが、ここでは詳細を書くのは控えようと思う。

 三カ月の学生生活にピリオドが打たれる日は三月の前半だったのだが、食中毒で倒れていたりイエローナイフに行ったりしたぶん遅れて、三月二十一日に私はアカデミックドレスと呼ばれる黒いマントに四角い帽子を身に付け、コーナーストーン・アカデミックカレッジを卒業した。

 それから数日後、友人の紹介でカンボジア系カナダ人が経営するラーメン屋のキッチンで働くことになったのだが、料理が下手くそすぎて「Why you HAVEN'T IMPROVED at all!?(なんでお前はこれっぽっちも成長しないんだ!?)」とキレられてクビになった。私は全然料理がまったく好きじゃなく、ただ美味しんぼを読破しただけのスキルしか持ち合わせていなかったのだから仕方がない。わずか一カ月の間で二度も自炊した料理で食中毒になるような男など、雇わない方がお互い身のためというものだ。

 私はカナダ人が経営する食品加工工場に転職し、分量表に従って小麦粉やらソルビトールやらを調合する日々を送った。インド人がやたらと商品を甘くしようとしたり、ブラジル人が稼働中の機械にホースの水をぶちまけたりと波乱万丈な職場だったが、サンプルのアイスをよく持ち帰らせてくれたりして楽しく働くことができた。

『ワーホリや留学では日本人とつるむと英語力が伸びないよ』と言われることが多いが、じつにその通りである。私は日本人ばかりと仲良くなり、卒業後はブラジル人やカナダ人の友人と遊んだことなど数えるほどしかなかった。唯一仲が良かったのは台湾人で、彼とは帰国後も会ったことがあり、今でもたまに連絡を取り合っている。私は奥ゆかしく優秀である、台湾人が大好きなのだ。

 私の勉強熱は学校卒業と共に急速に冷却されていった。半年くらい通えばよかったなと今になってはそう思うが、当時はずっと無収入のまま学校に半年通うことにかなりの危機感を覚えていたのだ。
 卒業後、私は遊びまくりのパリピと化した。連日友人と遊び、モントリオールやグランドキャニオンに出かけた。街での生活は英語だったが、友人といる時は日本語で話していたため、爆発的に高めた英語力は尻すぼみになっていった。だが私はあまり危機感を持っていなかった。それはアホだったわけではなく、自分の中で考えがいろいろと変わっていたからだった。

 中学からずっと愛してきた音楽。バンドのボーカルとして英語の発音を矯正したいと思ってカナダに渡ったわけだったが、カナダでの生活で『音楽で生きていく』という気持ちがほとんど無くなってしまっていたのだ。それは『けじめをつけた』とか『諦めた』とかそういった後ろ向きな意味ではなく、単に私が変わったのだ。これまで音楽だ俳優だと好きなことをして生きてきた私だったが、日本に帰ってからは普通に働き、安定した収入を得ることで“これまで出来なかった、違う視点での好きなこと”を見つけていくのも悪くないんじゃないかと思ったのだ。
 これを書いている今、私は映像制作会社に勤め、妻と娘がいる。家を買って、車やバイクで色んな場所に出掛けたい。そういう所謂“普通の暮らし”が幸せだと気が付いた。

 もちろん「バンドが売れていたら」「俳優としてあのまま続けていたら」と思う日もある。だけど私はやりたいことは全て一度やってみて、結果今の生活を選んだ。
“Better late than never(遅くたってやらないよりはいい)”私の好きな言葉で、やらなかった後悔というのは将来自分を食い殺す。ゲーム禁止の家庭で育った子が大人になって引きこもりになりやすい問題に似ている。一度挑戦してみて、どう生きるのかは後で考えればいい。やれ就職が不利になるからやめろだの普通に生きろだのという大人は多いが、やりたいことを他人から抑圧された人生は本当に幸せなのだろうか。

 バンド、俳優、海外渡航、やりたいことを全てやった私だって、今こうしてなんら不自由のない生活を送れている。チャレンジは、自由だ。
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