地獄の画家卍イラストエッセイ水無

俳優として全国CMで主演を務め、入社した映像制作会社で「喋りが面白いから」となぜかYouTuberにさせられてうっかり1,000万回も見られてしまう。地獄のようなイラストを添えたエッセイを毎日公開中。書籍化したいので、皆さん応援してくださいね☆

視力矯正手術『ICL』をやった結果

 ドライアイにより、コンタクトを数時間付けただけで目がシュパシュパし、さらに自分のメガネ姿が大嫌いな私は35歳で眼内レンズを埋め込む視力矯正手術『ICL』を行なった。

 小学4年の頃には、黒板の字がほとんど見えないほどに私の視力は悪化の一途を辿っていた。だがはじめはそれが何を意味しているのか分からず、ただ黒板の字が見えないなと不便に思っていただけだった。
 元々よろしい方ではなかった成績がその視力と共に下降し続けた結果私の視力低下が疑われ、メガネを掛けさせられた。だが小学生時代の私は学校始まって以来最悪と担任から告げられたほどのジャイアン小僧で、自分のメガネ姿に耐えられず授業の時以外は絶対に掛けなかった。

 とにかくメガネが嫌だった私は中学に上がるとソフトコンタクトレンズを買ってもらい、そこから23年にも及ぶ私のコンタクト人生が始まる。
 朝起きるとレンズをはめ、夜にはレンズを洗浄液で洗ってケースにしまった。特に面倒だという感情すらないほど、それらはもう生活の一部となっていた。
 だが32歳くらいになった頃、私の目ん玉に変化が起きた。コンタクトを付けて5時間もすると目薬が欲しくなるほど目が乾き、目ん玉を取り外したいくらいシュパシュパし始めた。ドライアイになったのだ。
 画面を注視する動画制作の仕事においてドライアイは天敵で、意識高い系のOLのようにオフィスへ卓上加湿器を置いたり、変態仮面のような見た目の、レンジでチンするホットアイマスクで目を休めたりと様々な対策を講じたがまったく改善されなかった。
 病院での目薬処方は根本療法ではなく対症療法なので差し続けなければ意味がなく、一生そんなことはしていられない。はてさて困ったもんだと私は思い始めた。

 コロナ禍で在宅勤務になり、初めのうちはコンタクトをしていたものの、途中から『疲れるからメガネでいいや』と思い始め、コンタクトを付けるのは週末外に出る間だけになった。そして日中は自分のメガネ姿に絶望し、自分が嫌いになり始めた。イケてないのだ。
 そんな時、私はネットの広告でICLというものの存在を知った。何やらレンズを目ん玉の中に埋め込むという末恐ろしいもので、値段もクソ高いとのことだった。
  有名な視力矯正手術と言えばレーシックだが、あれは二度と再生されない角膜を消滅させるうえ数年で視力がまた悪化していく可能性が激烈高く、ドライアイの心配もあり、本田圭佑選手をはじめとしたレーシック難民が多いことで私の中では絶対に有り得なかった。
 ICLはと言うと目ん玉の中に特殊なレンズを入れっぱなしにするので裸眼と何ら変わらず手入れも一切必要ないというものだった。さらに視力戻りも皆無で角膜も削らないうえ目の表面の問題であるドライアイとは一切関係ないということで、裸眼ではドライアイではない私にとって完全にマッチしたものだった。
 だがここで恐ろしいのは将来的な問題だ。コロナのワクチンだって今云々の問題じゃなく、まったく未知の製法で人体実験も異例の超スキップをしているため将来の薬害被害の可能性を危険視した私は打っていない。ICLだって同じではないのかと疑ったが、70年前から白内障の手術でも用いられているのと似た技法なのだと知ったことで、あとは予算の問題となった。

 最終私が払ったのは53万円だった。割引クーポンも使ったが、それでも高い。選んだのは品川近視クリニックという所で、Googleマップのレビューがイマイチだったがそれはレーシックというそもそも不安定なものの評価が多く、どの比較サイトを見てもICLならここがトップクラスだということだった。
 嫁に受けたい旨を話すと、まぁ状況考えるとしゃあないんとちゃいまっかとのことだったので、私は早速無料検査に向かった。気球を見てテーテ、テーテ、と鳴る例のあの機械だけでなく、眼科には慣れっこの私も驚くレベルの検査を繰り返し、受けられますよと判を押されたのはじつに検査開始から3時間後のことだった。
 ここで説明を受けた金額は48万円だった。ではなぜ私は53万円払ったのかと言うと、+5万円で、ICL指導医という日本でも数人しかいない凄腕の医師を指名できるという制度に課金したからだ。じつは検査の最後に医師の診断があったのだが、この時当たったのが20代後半くらいの人で、悪いが一生物の目の手術を任せるのは怖いなと思ったのだ。難しい手術ではないが、技術によって多少結果に違いが出るかもしれないという事前情報を掴んでいた私は、気にしすぎかもしれないが5万円課金したい旨を伝えた。

 さて手術当日、瞳孔を開く目薬を差して一時的に老眼を体験しつつ手術を待っていると名前が呼ばれた。殺菌や麻酔など、これでもかと言うくらい目薬を何度も差され、手術室へと入る。本当は笑気麻酔という気が楽になるガスを吸入したかったがここにはないとのことで、全身麻酔ではなく目の部分麻酔なのでめっちゃ怖いという噂を聞いていた私は緊張の面持ちで椅子に座った。
 まつ毛をテープで固定され、閉じないよう瞼を固定する器具が付けられ、めちゃくちゃ眩しいライトを終始見ていろと説明を受けた。
 手術が始まると、眩しいやら水をずっとポタポタ掛けられてるやらでキラキラしてハッキリとは分からないが、いつ切ったのか分からないほど手早い動きでレンズか挿入されていった。レンズが目ん玉に入るとキラキラのよく分からない視界ながらも急に視力が上がったのが分かり、ちょっと目を押されるような嫌な感覚があったが痛みはもちろんなく、えっもう片目終わったの? と思うほどじつにスピーディーにことは運んだ。さすがICL指導医だ。言い方が悪いが私はこのお医者さんを5万円の課金で召喚して本当に良かったと思った。
 手術中、あぁこれでもうあの全てがぼやけた世界とは一生お別れなのかと、ちょっとエモい気分になっていた。こんなことならもう少しあの裸眼の世界を目に焼き付けておけばよかったなどと思っているうちに手術は終わった。両目で20〜30分ほどと聞いていたが、10分くらいで終わったのではないだろうか。
 術後は1時間ほど休憩室で休み、検査も問題ないとのことで家路に着いた。だが菌が入らないようクソダサゴーグルを1週間は掛けないといけないので、正直裸眼バンザイという気持ちはまだほぼなく、単にメガネを掛けているという感覚だった。さらに数日は洗髪は禁止、目薬も日に何度も差さないといけないため、術後1週間は快適どころかかなり面倒だった。

 目の見えない人が見えるようになったような派手な感動はないが、全ての煩わしさから解放されたことで、術後1週間が経った今、やってよかったなという気持ちが徐々に大きくなってきた。
 昨夜は夜寝る時に視界が良好なので何事かと驚いたり、メガネを掛けていないのに目頭の辺りをクイッとするファントム眼鏡シンドローム(そんなんあるんか知らんけど)で今はまだ変化に馴染めず違和感を覚えたりしている。

 あとは普通に目が悪くならないよう、パソコンやスマホを見ていても1時間に1回は遠くのものを見たりして、これからは目ん玉さんの機嫌を取っていきたいと思う。

虫歯大魔王がフッ素で幸せになった

 私の歯はゴミカスだ。おそらく小学生の頃に歯磨きをきちんとしなかったことで歯がボロボロになったのではないかと思っている。
“人生最大の痛みは本能寺の変”でも書いたとおり、昔は痛みが本格化するまで歯医者に行かなかったのだが、地獄のような痛みに凝りた私はすこし前から定期的に歯の検診に行き、日々のケアだってデンタルフロスや糸ようじで歯間の汚れを落とし、ソニッケアの電動歯ブラシでしっかり磨き、ミントがダメなので子ども用の物ではあるがマウスウォッシュだって使うようになった。

 だが三カ月に一回定期健診に行くと「水無さん、また虫歯があちこちありますね」と言われ、絶望する。
 いったい何だと言うのだ私の歯は。いい加減にしてほしい。これ以上何かを求められたってどうしようもない。いっそ全部引っこ抜いて入れ歯にしたいくらいだ。

 そう文句を言いながら仕事の休憩時間に歯医者へ行く生活を一年ほど続けていたのだが、このコロナ禍で育休を延長し、我が家で過ごす日々を送っていたある日、歯の詰め物が突然ポロリと取れた。
 なんということだ。また歯医者に行かなくてはならない。だが定期健診にも行けていなかったのでちょうどいい機会かとも思ったのだが、いつもの歯医者に行くには電車に乗らなくてはならない。お金もかかるし、コロナだって怖い。
 そこで私は近所の歯医者をグーグルマップで探し、レビューの一番高い歯医者に行くことにした。

 予約同日、いざ訪れてみると開業してまだ二年ということもあり、数多の歯医者のお世話になってきた私史上最高に綺麗な歯医者だった。レビューが高評価なのも頷ける。これは期待大である。

 私は詰め物が取れた旨を伝えて歯をあんぐりすると「おや、かなり歯医者に行かれていたようですね。歯でかなり苦労なさっているとお見受けします」と先生は言った。よく分かっている。好感度アップだ。
 そしてまず最初に口内を色々見せてくれと言われたので黙って口を開けていると、二、三分で「終わりましたので一度起こします」と言われた。
 すると目の前の三十二型ほどある液晶に、私の口内の汚らしい写真が次々と映し出されていくではないか。さっきチェックしながら小型カメラで撮っていたのだ。初めての出来事にドギマギしていると、先生は画像を見ながらいたる所の詰め物がかなり摩耗していること、各所に虫歯があることなどを説明してくれた。こんな診察は初めてだったが、目で見るとじつに納得出来る。私の口内は本当に汚い。

 そしてその後も動画や資料を見ながら虫歯が出来ていく工程などをしっかりと説明してくれて、凄く丁寧な歯医者だなぁと感動していた。そしてその中には目からうろこの話がたくさんあった。

 虫歯にならないためには三つのことを心に留めればいい。
・食事の間隔を空けましょう
・歯磨き粉やマウスウォッシュはフッ素入りの物を使いましょう
・歯磨きをしましょう

 私的にまさかのことだが、聞くに上から順に大事で、歯磨きはさして重要ではないと言うではないか。なんでも歯科医療後進国は揃って歯磨きに力を入れようと教えているようで、本質はまったくそこではないと言う。

「残念ながら水無さんは多分、本来虫歯を防ぐ役割を持つ唾液の量が少ないか、質が悪いのだと思います。なので虫歯が出来やすいんです。こればっかりはどうしようもありません。なので最初の二つを気にして生活してください」
 これまで数多の歯医者に通ってきたが、動画を見ながらきちんと説明されたのは初めてだったので、私はえらく感動した。だが家に帰って診療費の内訳を見るとしっかり講習代も入っていたので気持ちが若干離れかけたが、いや待てよと私は思い直した。そりゃそうだ、彼もボランティアじゃないのだ。知識を金に変えて何が悪い。私は自問自答で一度手放した彼の信頼を再び勝手に取り戻した。

 具体的に言うと、歯磨き粉はフッ素濃度の値であるPPM1,450の物を、マウスウォッシュはPPM450に近い物を使用してくれとのことだったので、私は歯磨き粉はPPMが1,450あるライオンのNONIOプラス知覚過敏ケアハミガキを、マウスウォッシュはPPMが225あるライオンのクリニカフッ素メディカルコートを買った。PPM450のマウスウォッシュは市販されておらず、歯医者でなら買えたのだが割高だったので、225でも全然良いと聞いて私はこの二つを選んだ。

 その日から私はなるべく間食をしないよう一回の量を増やし、歯磨きも歯間ブラシで汚れをかき出してからフッ素コーティング歯磨きを行なった。厄介なのは歯磨き後のうがいである。私はミントや歯磨き粉の味が大嫌いで今までしっかりうがいをしていたのだが、それだとフッ素が流れて全然意味がないと言われたのだ。なので歯磨き後はなるべく水でグチュグチュせずに舌や指で口内に付いた歯磨き粉を「ペッ! ペッ!」と洗面台に吐き出すという異様な行動を取っていたのだが、私はそこで疑問に思った。
「マウスウォッシュはいつすればいいのだ?」
 高濃度のフッ素歯磨き粉を使った後のうがいがダメなら、低濃度のマウスウォッシュもダメなのではないか?
 私はその疑問を次回来院時にぶつけてみたのだが、先生は「じつはそれ正解がないんですよね。どっちでもいいと思います」とイマイチしっくりこない回答しか貰えなかったので、私はライオンのカスタマーサポートに質問してみた。
 すると返ってきた答えはこうだった。

・歯医者の言うように、順番の指定はしていない
・フッ素が歯のエナメル質に作用するには塗布後二、三十分かかる。その後もフッ素はなるべく歯に留まらせた方が良い
・製品単体で見ると歯磨き粉の方が高濃度ではあるが、一回使用量あたりのフッ素量で言うとマウスウォッシュの方が多い
・マウスウォッシュは医薬品のため一日一回しか使えないので、夜の歯磨きから三十分以上置いた就寝前に使うのも良いのでは

 と、かなり質問したにもかかわらずめちゃくちゃ丁寧な回答が返ってきた。

 そこで私は毎食後はPPM1,450の歯磨き粉を使い、その後はなるべく水分すら口にしないようにし、就寝前にマウスウォッシュを使うという生活リズムを築いた。
 これでもう私の口内は安泰だ。なんと言ってもこれまでやってこなかったフッ素コーティングが施されているのだ。虫歯菌が固着するはずがない。
 こうして私はその後数十年、虫歯に悩まされることなく生涯を終えた――と言いたいところだが、本当に効くのかどうかは分からない。万が一これでもまだ虫歯になるようならまた原因を突き詰めて報告するが、ほとんどの人はこれでかなり予防できるらしい。ぜひ一緒に虫歯ゼロのフッ素ライフをエンジョイしようではないか。

数々の健康法を試した結果【地獄のイラストエッセイ】

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高級なマットレスを買った【地獄のイラストエッセイ】

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 以前“貧弱なお尻の悩み解消”というエッセイを書いたが、長時間イスに座っていられないほど尻が貧弱な私はプロテインを飲み、スクワットをしたことで多少の尻肉を身に付けたわけだが、それでもやはり一般人と比べて十分かと言われればまったく十分ではなかった。実家のコタツに入っても尻が痛すぎて座っていられず、今年の正月も座布団を七枚敷いたが痛すぎてすぐに飛び出たという逸話を残したほどだ。

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通販命の私が選ぶ超便利サイト【水無のイラストエッセイ】

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